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震災から14年

 

こんにちは。スタッフRです。

今日で東日本大震災から14年目を迎えました。

 

私は東北出身で、震災当時ちょうど高校を卒業した年でした。

 

受験も終わり、大学生活が始まるまでの残りの数日間を実家の方で過ごしていて

当日の地震発生時は近所の温泉に入っていました。

 

突然ガタガタ揺れ始め、収まる気配のない揺れが段々大きくなり怖かったです。

どうしようかと迷っていると、近くにいた見知らぬご婦人が「こっちにおいで!」

と大きな柱の場所に来るように呼んでくれました。とても心強かったのを覚えています。

(あの時のご婦人、ありがとうございました。)

 

温泉のお湯も大きく波打ち、お湯がどんどん減っていき

急いで外に出てテレビを見ると大変なことになっていると気づきました。

自宅に帰ってからも停電が続いて寒かったのですが

今は亡き祖父が石油ストーブを付けてくれた時の、

不安の中にうまれた少しの安堵感が忘れられません。

 

その後大学の入学準備のために一度千葉に行かなくてはならなかったのですが

公共交通機関は大混乱。車で行こうにもガソリンも手に入らず行くのが困難な状況でした。

大学側が柔軟に対応してくれて何とか手続きは済ませることができましたが

車社会の私の地元ではガソリン不足は死活問題。

スーパーの商品棚の変化や連日の報道で、ただならぬ出来事が起きていると

常に心がざわざわしていました。

 

私の周囲には

震災当時被災地にいて心身のバランスを崩してしまった子や親族を失った子もいます。

兄はボランティアで被災地の写真を回復を手伝う仕事をしていましたが

その際にお世話になったご家族も災害関連死ということで

連絡をいただいた方もいます。

どのような言葉で気持ちを表せばいいのかいつまでもわかりませんが

亡くなられた方々、そして今も奮闘されている方々に思いを馳せたいと思います。

 

誰しも人には言えない悩みがあったり、

表に出せない気持ちがあったりするのではないでしょうか。いつも元気な人でも誰でも。

言える人・言えない人、言えたとしてもその時に周囲に助けてくれる人がいるのか、

その時の状況で自分の気持ちが消化できるかは変わってくると思います。

ただ、もし自分を頼って何かを打ち明けてくれる人がいたとしたら

その時の自分のすべてで受け止め、少しでも助けになれたらいいなと思っています。

 

看護師になってからもこの根底にある考えは変わらず、

人としてそういう人でありたいという

これからも大切にしたい「自分」です。

 

それでは、皆様どうぞ体調など崩されませんように。

クリニックでお待ちしております!

 

 

 

 

 

 

 

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